広大な自然をみると思い出す
オーストラリアの誰も人が通っていない、本当の意味での田舎道を一人で
運転していると、必ず思い出す人がいます。
カラカラに乾いた大地を遠目に見ていると、必ず、私の意識の中に現れる人。
それは、9年ほど前に亡くなった、オーストラリア人の義理の祖父です。
元夫Sの祖父に当たり、フランクと呼ばれたその人は、田舎でファーマーとして80歳過ぎの人生を
終えるまで、私のことをとても可愛がってくれました。
この前、田舎道で迷子になったときも、何となく感覚的に、

「おじいちゃんが付いていてくれているから、大丈夫」
という不思議な思いがありました。

ちょっと田舎道を走ると出てくるカンガルー出没注意の看板。 明け方や夕暮れ時にカンガルーがアクティブになるので、特に運転注意らしいです。
そうそう、道に迷ったお話はこちらから。
私の失敗体験が、どなたかのお役に立つかも…
徳を持った人
まだ正式に付き合い始めたわけでもない頃、元夫Sが彼の家族を紹介してくれた時も、ひいおじいちゃんとおばあちゃんの家は、とても居心地よく、私でも気疲れせずに過ごすことができました。
そう思わせてくれたのは、まぎれもなく、ひいおじいちゃんとおばあちゃんの
お陰だと理解できたのは、ずっと後になってからの事ですが。
ひいおじいちゃんは、農業に携わり桃や、オレンジを育てて家族を養ってきましたが、とても智恵のあるひとで、どんなことでもよく知っていました。

元夫Sの庭で育てている桃は、元々はこのおじいちゃんの畑から移植した木から採れたものです。
大きくて、ジューシーな実をつけます。
天気の事、動物、植物、食料、危険かどうかの判断、方向、水、食べ物、農作物、人との付き合い、お金の使い方、歴史それに今、起こっている世界の
ニュースにまでも詳しく、物知りでした。
写真家でもあり、一人でキチンとした写真を撮っては、自分が建てた暗室で現像までやってしまう。
オーストラリアの高原の風景写真を撮って、有名な賞を取ったこともあるというのに、それを自分から吹聴したり、
自慢したことはありませんでした。
ただ一言でFamerと表現するにはおこがましい、学のある人でした。
ユーモアのセンスはあって、英語初心者だった私でも笑えるような、お茶目な話をして笑わせてくれたり。
小さな田舎町に住んでいたけど、人のうわさ話には口を出さないし、人の悪いことも言わない、一本筋の通った
オーストラリア人という表現に合う人でした。
起こってしまったことを詮索しない

私がひいおじいちゃんを、本気で尊敬するには、
事実に基づいた理由があります。
それは残念な事故でした。
元夫Sの従弟のニコラスが、脊髄を痛めて下半身麻痺になってしまうという大きな
出来事がありました。
ニコラスは20代初めの健康な若者で、婚約者もいて、結婚式も翌年に控えていて、既に二人の間には
赤ちゃんも生まれていました。
聞くところによると、ニコラスは結婚する友人らと”Henz Night”と呼ばれる結婚前に最後に男同士で飲んで、バカ騒ぎして
独身最後におさらばするという場に仲間たちと出かけそこで、工事用の重機で脊髄を損傷。
田舎の病院では、手の施しようのないほどの重軽傷で、ヘリコプターでシドニーの大病院まで運ばれなければいけないほどの事故でした。
どんな時でも取り乱すことのない人
その話を聞いた時、
私は、「何で、どういうこと? 」
「誰が、重機を運転していたの?」
「どうやってそうなっちゃったの?」
などと、矢継ぎ早に質問を投げかけて、状況を飲み込もうとしましたが、
ひいおじいちゃんは、
誰がやったか分からない。
そんなこと知る必要が無いし、知ったところで
何が変わるというものでもない。
と静かに、私に答えました。
若かった当時の私は、「ええっ。そういうもの? 答えなくて、それで割り切れるの?」と、納得いきませんでした。
でも、それは、ひいおじいちゃんの生き方そのものだったんだと今なら
わかります。
誰がやったのか、どういう状況でその事故が起こってしまったのか、悪ふざけに加わった友人らがニコラスのこれからの
生活の保証をしてくれるのか。
肉体労働なんてなんでも来いの若者から、首から下が全く動かなくて、指一本動かすのにリハビリが必要になってしまった
ニコラスのこれからの未来は、誰が責任を取ってくれるのか。
あれこれ、頭の中で考えていたし、当時の夫だったSには私の理解できなかった疑問をバンバンあてていたと思います。
私が考えていた以上に、人生の先輩だった、ひいおじいちゃんがそういった問いかけが頭の中に巡らなかったわけではないと思います。
ただ、起こってしまったこと、いくら話しても、泣いても、叫んでも変えようのない過去を振り返っても仕方ない。
誰かを責めても、何もうまれない。
そのことを知っているひいおじいちゃんは、
潔く、事実だけを受けとめて
過去でなく、前を向いてニコラスと、その家族を
サポートすることにしたんだと、後で理解することができました。
本当の優しさってこういうこと
フランクひいおじいちゃんは、最後は、家族に看取られて自分の家から、
天国に旅立っていきました。
ひいおじいちゃんの末期が迫っているという12月の初め、既に私は離婚していましたが、お別れを言うために、片道6時間のニューサウスウェールズ州の田舎まで、Sと一緒に会いに行きました。
ひいおじいちゃんは、最後に会いに来た親戚や知人らに囲まれていましたが、私を遠くから見つけると、

「一番会いたかった人が、来てくれた。」
離婚している私がSの家族や、周りの人に気兼ねしないよう、皆の前で
わざと大声で言ってくれたのです。
両手を広げて、迎え入れて入れた優しさ。
その時の、ひいおじいちゃんの優しさは、私の心の中に刻まれて、
多分一生、忘れることはないと思います。
2日だけ滞在して、最後に本当にお別れでしたが、おじいちゃんは最後まで
「来てくれてありがとう。会えてよかった。」と
感謝の言葉で、私を送ってくれました。
その時が、生きているひいおじいちゃんに会った最後の時でした。
最後の時をしらせにきてくれた
今考えても、不思議なはなしですが、
ひいおじいちゃんが天国に旅立つ時、私は分かりました。
年が明けて、夏休みを過ごす息子や、友人の子供たちとプールにいたのですが、
その時、プールサイドで子供たちの様子を見ていた私は、
ひいおじいちゃんの姿が映像のようにぶわーっと体の中に湧き出てくるような感覚におそわれました。
子供の声がキャッキャッと響き渡るプールサイドでしたが、私の中では、
はっきりと、ひいおじいちゃんが最後のお別れに来てくれたんだと
わかりました。

涙がぽろぽろ出て、お別れを感じながら、元夫の携帯に電話をかけました。
「ひいおじいちゃんが多分、天国に旅立ったから。
今、報せに来てくれたから、田舎のお母さんに電話してみて。」と、
伝えました。
数分後、やっぱり、そうだった。家族に見守られながら、静かに息を引き取ったという電話を受けましたが、そんなことは確認するまでもなく、分かっていました。
だから、田舎道を走るとフランクおじいちゃんを感じます。
おじいちゃんに見守られている感覚を。
おじいちゃんだれよりも愛した孫、元夫となったSの家に行くとき、おじいちゃんがすごく喜んで守ってくれている感じを。
これからも、ひいおじいちゃんを感じて、守ってくれる感覚は続くと思います。
