平和を生きる人になる

Candle

今日は75周年目の 長崎の原爆記念日でした。

ここ、メルボルンに住んでいるとTVで平和式典の中継を見ることも、平和公園の灯を見ることもほとんどありませんが、私は、この日を忘れることはありません。

 

今日が私の誕生日だからです。

 

幼少期から、父が転勤族であちこちに住み、九州も福岡、熊本、鹿児島などを転々としました。九州では、
その長い夏休み中登校日という日があり、だいたいこの原爆記念日あたりに学校に集合して、平和の大切さなどを
教えこまれた記憶があります。

私の生まれた日に、今までの歴史上で最後の原爆が落とされたくさんの方々の命が一瞬にして奪われたことは、小さかった私にでさえ、何かしら考えさせられるものを心の中に残しました。そして、この日に生まれたことに何か意味がある気がして、戦争の、原爆の体験記などたくさん読んで、平和について小さいころからよく考えてきました。

Water drop

 

大人になって、平和を訴えるデモに参加しているわけでも、NGOで働いているわけでもありません。

何故か、ここ、オーストラリアのメルボルンに住んでいて海外から原爆の日を考えることになっています。

遠くからでも、毎年長崎の原爆記念日平和の集いに参列する方々と、心を合わせ祈ることはできます。

 

今、メルボルンはStage4の厳しいレベルのロックダウン中で、ニュースといえばコロナ関連の話ばかり。

職場の幼稚園でも、このロックダウン中、どの子が園に登園してくるのか、何人の子供を見なければならないのか、親はこのパンデミックの時に、自分の子供を登園させて平気なのかなどなど、先行きが不透明な分職員間でもいろいろなネガティブな会話が、飛び交っています。

一か月の間に感染者数があっという間に二倍以上に増えた現状を考えると、そういう不安感にさいなまれるような会話が飛び交う心情もわかります。こんな時に、子供を登園させるなんて…と親を批判的な目で見てしまう、同僚の気持ちもわかります。

でも、事情があって登園することになる子供たちには何の罪もなく、こんな状況でさえも子供を家に置いておけない細かい各家庭の事情も、外から私たち職員には分からず、私たち職員の立場としては、一日一日心を引き締めてお預かりするしかないと思うのです。

平和を口先で唱えるだけでなく、平和を身辺に作り出す人になる。”
まず、自分ができる小さなこと、相互の微笑み、いたわり、許しあいから始める。                  引用:‐面倒だから、しよう‐ 作者 渡辺和子より

 

”子供たちに平和の大切さを伝える” ー 教師という形で、生きていく上で大切なこと、幼児期から心の中で育てていってほしいこと。 戦争を知らない世代の子供たちだからこそ、今、こうして毎日を平和に送れることのすばらしさ、喜びを子供たちに教えていかなければならない気がします。

幼稚園児でも、子供なりのレベル理解力で、道徳観は育てられるのです。
それを日々、子供たちと接する中で実践できる立場にある私は、大きな使命感を感じるとともに、無駄に時間だけを過ごしていないか、生き方を試されている気がします。

毎日、このコロナ禍で刻々と状況が変わる中、客観的に物事を判断し、どんな中でも微笑み、いたわりを忘れない態度をとれる人でありたいと改めて願います。

国際情勢を変えるような大きな運動はできませんが、ご縁があってやってきた、私の前に今いる子供たち、その子供たちの家族、職場の同僚に、笑顔を信念をもって、丁寧に接する、平和を生きる人でありたいと祈りつつ、今日の誕生日を感謝して眠りにつきます。

 

 

 

Candle

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