コロナ禍であっても毎日の生活で感謝を見つける

finding thankfulness in everyday
本記事の内容

メルボルンから平和記念式典

今日は76回目の長崎原爆記念日。

被爆者の方々の平均年齢が83歳を超えるという今、次世代を守る子供たちに、平和の大切さ、意味のない殺し合いと破壊がいかに愚かな行動であるかというメッセージを
伝えていけるようにと、平和記念式典をオンラインで中継を見ながら感じました。

被爆者を代表して、「平和への誓い」を読み上げられた岡信子さん(92)のインタビューも、
朝日デジタルに載っていましたが、76年を経た今も、忘れることのない体験、被爆者として
潜り抜けてきた偏見や、差別的な扱いも、聞いていて身につまされる思いがしました。

次世代を支える子供たちと関わっている仕事にある以上、平和の大切さ、国を超えての団結、
友好関係、連帯は、度あるごとに語り継いでいく必要があると、私は考えます。
もちろん、原爆のこと、ましてや戦争を知らない子供たちに伝え方、教える内容は
厳選しなければなりませんが、小さないさかいや、差別、誤解があったら、それをどうやって
ほどいて、お互いを理解していくのか、その術は、日々の中で実践で教えていくことはできます。

それが、私のできる平和、次世代へのせめてもの責任かなとも感じます。

No war signs with little figures

いくら経験を積んでも頭が固い中高年になってはダメ

長崎の原爆記念日である今日、私は、また1つ歳をとりました。

メルボルンは6度目のロックダウンで、バースデーだからと言って友人らと出かけたり、
一緒に食事をする自由もお預けになっていますが、その分、自宅でこうしてゆっくりと、
これからの人生について考える時間が持てていることに感謝しています。

最近30歳の若い助手とクラスを担当していて、いやでも自分の年齢を感じる場面が多くなりました。
若い子は、フットワークが違います、走りも動きも軽くて早い。

もちろん、経験は浅いし、周りのことを考えずに、物事をズバッと言って失言も多いですが、
それは、年齢、教育、国民性の違いからでしょう。

若さから、突っ走る傾向にあって、私がひとまず、別の目線で考えたら、こういう結果になる
可能性がある、まずいのでは?と止め役に入ることもここ最近、職場では多くなりました。

でも、その一方で、「あれ柔軟性がないだけなのかな?」 「今までの経験、物事の基準、考え方から言っているけど、今回は、別に違う方法でも行けるのではないか?」 「昭和の固い頭の中高年になってる?」と自問自答するような時もあります。

数ある情報の中で自分は何を選ぶのか?

人生100年時代と言われて去年から、特にコロナ禍でこれからの仕事、お金、健康、そして
生きがいについて考える時間がとても多くありました。

今まで、目の前にある仕事やチャレンジにかまけて、先の事を考えることを避けてきた私。
これもまた、日本人的感覚で、とりあえず銀行に預金額を増やしていくことで安心してきてしまった私。

子育て中の仕事、目の前にある課題や、新しい学びに精一杯で、あまり将来お金の事や投資の事まで
このアラフィフの年齢になるまで先延ばしにして、考えてこなかったことが少し悔やまれます。

家からでも、海外からでもインターネットのお陰で、学ぼうとすれば学べることは沢山あり、
できるだけ偏っていない、公平な立場の情報のインプットが、場所と時間を選ばずにできる時代。

実際に、ただ情報をインプットするだけではなく、行動に移すために、投資を増やしたり分散化させたり、
不動産を購入しようかとあれこれ、飛び回ってきましたが、簡単に決断することもできないし、
中高年になって今この歳での失敗も怖く、躊躇することも多々あります。

決断力が弱まっているのか、失敗が怖いからだけなのか、年齢のせいなのか、ロックダウンで
気力がダウンしているのか、それとも更年期のせいなのか。それは考えても、私にはわかりません。

でもちょっと、決断に悩んでるとか、気持ちがダウンしてるという時々に、支えてくれる友人、家族が周りにいて、私は本当に恵まれていると思います。

先日、同年代の友人ら3人でZoomで、老後の資金、投資、子育て、健康、美容などなどについて話していました。 皆、出身、家族環境や、経験はバラバラですが、個々の強みと得意分野を仲間うちでシェアできて、年齢が近い分通じるものがあり、時のたつものも忘れておしゃべりに華が咲きました。そして、皆、中高年と呼ばれるこの年代になるまで、何かの大病をくぐりぬけてきたり、健康があってのものだね何だと、考えさせられました。

seniors are holding hands

海外で生活して、シングルとして子供も育ててきて、誰かに依存して生きていくという術は、
私にはありませんでした。

でも、支えあえる友人、ちょっと不調の時に、「大丈夫だよ、皆そういうのはあるもんだよ」と、言い合える仲間がいるのはとても励みになるし、大切なことだと思います。

与えられたものをありがたくいただいていく

去年から、不動産関連のオンラインのワークショップなどに参加していた時、
自分の会社の不動産を購入してもらいたいセールスマンは、

「老後、いくら必要になると思いますか? 」
「それで十分な暮らしができると思いますか? 」
「えっ家一軒、それで果たして、豊かに老後が送れますか?」

いや、あおられます。
そのセールス。 向こうも仕事で、セールストークは長々と続くし、押しも強かったですが、
私は、納得いかないものには賛成できません。

これからも、人生をよりよく生きていくために、知恵や知識は大切ですが、
私は、最終的に神様がひとりひとりに必要なものを、必要な時に与えてくださると、
信じています。

それが、自分が祈り願っていたものとは違っていても、その人には必要なものであると、
後で振り返ったときに分かることがあります。

コロナで、人の考え方、生活の仕方も変わっていかなければならない今。

不安、悲観、自暴自棄になるのでなくて、しっかりと地に足をつけて、毎日生活の中で小さな
ことにも感謝をしていけるように謙虚な姿勢で、日々の生活を続けていきたいと思います。

最後に、私が時々手に取る、渡辺和子シスターの著書、”どんな時でも人は笑顔になれる”の中に書いてある祈りが、今朝は特に、心に響きましたので、記しておきたいと思います。

私が… と、傲りある思考にとらわれたとき、思い出して唱えたい祈りです。

大事をなそうと力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと弱さを授かった。

より偉大なことができるように健康を求めたのに
よりよきことができるようにと病弱を与えられた。

幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった。

世の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに
得意にならないようにと失敗を授かった。

人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと生命を授かった。

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた。

神の意にそわぬ者であるにもかかわらず、
心の中の言い表せないものはすべてかなえられた。

私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福されたのだ

イエズス会 J・ロジャー・ルーシー神父原文
引用:”どんな時でも人は笑顔になれる”著者渡辺和子

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