移民国家で26年‐ 多様性社会に生きる私が実践する3つのポイント

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何かと物議を呼んでいる東京五輪ですが、私はここメルボルンから開会式を観て、
日本も多様性を認識するような社会になってきていることを感じました。

Tokyo olymic logo

オーストラリアに住んで26年になりますが、この国は、まさに大人の25%が移民という
統計が出ているほどの移民大国なので、多様性について感じることは日常茶飯事ですし、
教師として、子供たちにも

”多様性 そして、その違いを乗り越えた協調と一致”を

教えていかなければならない立場として、私自身の考えもたえず、アップデートする
必要があります。

この記事では、移民の国で、私が自分に言い聞かせている3つのポイントについて
書いてみようと思います。

本記事の内容

移民を受け入れる懐の大きな国オーストラリア

30年ほど前、ワーキングホリデーでメルボルンに来てまだ1週間という間もないころ、Cityの真ん中で他の国からの観光客に、道を尋ねられたことがあります。

その時は、「何で私に聞くんだろう? 私もついたばかりの外国人なのに、見て分からないのかな?」と思いましたが、
直ぐに周りを見渡して、気が付きました。

その観光客にとっては、様々な人種が混ざり合ったCityの中で、私のアジア人の外見は
地元に長く住んでいる根っからの居住者か、来たばかりのトラベラーかは、見分けはつかなかったのです。

そのくらい、メルボルンは”人種のるつぼ”で、多国籍社会です

建国されてまだ200年ちょっとしてか歴史のない、広大な土地を持つ若い国家オーストラリアが、積極的に移民を
他国から受け入れてきたことで、多国籍社会になっています。


また、難民などの受け入れにも人道的な国家なので、今でも移民は増えています。
(去年からの新型コロナの影響で、他の国からの出入りは今のところは止まっていますが)

一般にオージーと言ってもルーツは様々

あれから早30年。私も日系企業、旅行業界、日本語教師などなどの職種についてきましたが、幼稚園に勤めてからは、
特に、色々なバックグラウンドの家族、同僚らと出会ってきました。

市役所が運営する、公立の幼稚園に勤めているので、14園ほどある幼稚園のどの地域に勤めるかによって、通わせてくる家族のバックグラウンドがかなり違ってきます。

例えば、Cityに近い高層タワーに住む子供たちが通ってくる園では、クラスの9割がアフリカ系移民で、イスラム教徒でした。クラスの中に、モハメド君や、アラー君、オマー君といった、コーランの中にでてくる偉大な預言者の名前を
持っている子供が何人もいました。

今、勤務している園はイタリア、ギリシャなどヨーロッパ系の家族が多く居住する地域ですが、
それでもルーツを聞くと20か国以上に分かれます。

Victoria market
世界中から来た移民者のお腹を満たすVictoria Marketは、昔から地元の人に愛される場所。
お魚コーナーにはお刺身にできる新鮮魚も手に入ります。

多様性は人種のだけを意味するものではない

ここまで書いてきた ”多様性”は、人種に偏っていますが、多様性を語るならば、
広い意味で、考える必要もあるでしょう。

私が今まで受け持ってきた子供たちに見られる多様性といえば…

*精神的、身体的に障害を持っている子供

*両親が一人だけだったり、母親が二人、父親が二人などのレインボー家族
*虐待などの理由で、親と一緒に住んでいない、もしくは里親が育てている家族
*オーストラリアに移民してきたばかりで、言葉が全く通じない家族
*宗教的な理由から、誕生日やクリスマス、イースターなどを一切祝わない家族
*宗教的行事に参加するため、幼稚園はいつも欠席か、昼から通ってくる家族

*男の子女の子のジェンダーをハッキリと区別したくない家族
(子供に選ばせたいと、子供の中に存在するジェンダーを重視する親もいます)
*子育ての方針から、一切、子供に予防接種をさせない親もとで育っている子供
(現在では予防接種を受けていない子供は幼稚園などの集団保育に入れない厳しい法が
できていますが、これも特例があるので完全ではありません)
これらの家族の人権と権利は、いかなる場合にあっても尊重されるべきであると
私は数々の研修で、学んできました。
ちなみに上の7項目の家族で育つ子供たちを、過去16年間の中で担任してきましたので、
親に私が育ってきた常識内に収まらない多様性を、主張されても、最近は驚かなくなりました。

オーストラリアで生活してきて、つくづく大切だと思うことは

己の常識は、他の人の常識であると思ってはいけない
ということです。 

ここ尽きるのではないでしょうか。
これを知っておけば、ショックに打ちひしがれる可能性が低くなります。

バックグラウンドが違う同僚と働く

たくさんの職場を経て、面白い体験をしてきた私ですが、職場の人間関係には、
未だに悩まされることがあります。

この年になっても「まさに目が点」というエピソードに今でも、遭遇します。😲

出身のお国が違う分、同僚間で、電話の取り方から、掃除の仕方、休憩・お休みに対する
意識など、全然違うことがあります。
ごくまれに、日本人である自分と、同じような感覚を持つオーストラリア人と働くと、
内心驚きますが、それくらい、様々なバックグラウンドがあるからこそ、個性豊かな、
働く環境になります。

受けてきた教育、家庭環境、食べ物、風習、週間、宗教、家庭のあり方、幸せの感じ方など、
話してみると本当に違うので、面白いといえば、新しいことを学べてエキサイティングと
言えますが、いちいち、その人が理解できるように説明して、指示を出す必要があるので、
そこに大変さも出てきます。

異民族社会で働く毎日 ’意識していること3つ’

私はオーストラリアで生活して26年になるので、考え方がかなり日本人特有のものとは、
違ってきていると思いますが、それでも、気を付けていることがあります。

教師として気を付けていること

あらゆる面で、自分たちとは違うものを排他しないように、
どの子供もInclusive=包括的に、教育できているか考える。

幼稚園の教師は、子供たちと接しながら、いろいろな価値観、倫理観、問題解決方法などに、自分の生き方、考え方が反映される立場にいます。

私の考え方が、偏っていないのか、その考えは、日本人だから来るものなのか、私が受けてきた教育、しつけ、常識だと認識しているから来ているものなのか、常に自問自答しながら
カリキュラムや、プランを立てています。

当たり前のように、行事の中に取り入れる、お祝いも、国や宗教の違いでは、全く取り方が違います。何らかのお祝いをクラスの中のカリキュラムの中に取り入れる時は、ご父兄の中で、
一緒に祝わせたくないと思っている方がいるかもしれません。 さりげなくアプローチして、
その旨を確認します。

家族について、話し合っている時も、子供たちの中には、普通のようにお父さんお母さんがいない子供たちも沢山いるのです。 一般的な家族を語ることで、誰かの心の中で傷ついていることになっていないか、子供たちのバックグラウンドをしっかり把握して、注意します。

幼児期の子供たちは感性が高いので、人の中にある ”違い”を敏感に察知できます。
親や、家族の誰かが、何らかの理由で、ある一部の人に対して、疎外感、拒否を持っていたら、
それを常日頃見ている子供は、同じように差別をしていくようになります。

教師も同様です。 まず私自身に拒絶や、差別の心がないか、見つめることを大事にしています。

同僚と働くときに気を付けていること

人によって常識は違う。
その人が理解できるような説明、対応を心掛ける。

職場で、地位も、経験ども上がり、どうしても自分が、同僚をリードしていく立場になることが多いこの頃ですが、できるだけ、自分ばかりが話すのでなく、

miku
miku

~ について、決めないといけないんだけど
OOさんはどう考えてる?

と、まず、相手が自由に意見を述べられるようにします。
これが、結構難しいですがし、大体、この年齢になると 「あ~、それはもうやったことがあるけど、OOだから失敗するケースが多いんだよね。」と瞬時に、頭に浮かぶことも出てきます。

でも、以前、違うチームで、違う年代に育った子供たちに試して上手くいかなかったからと言って、今回もそうであるとは言えません。 決めつけは危険です。

お願い事や、指示を出す時も同様です。
私は、今でも疲れてくると、何だか英語の言い回しが雑になってきて Englishでなくて、
Japlishを話すようになりますが、同僚によっては勘が働かず ”?”の対応で返されるときが
あります。

常識や認識の仕方のレベルが違う分、相手がわかりやすいお願いや指示を出すように、
こちらが気を付けるのが、気持ちよく働けるコツなのではと、考えます。

人生死ぬまでアップデート-熟年層として気を付けていること

自分と違うもの、新しい考え方、取り組み方を
受け入れる姿勢を忘れない。

興味、関心、挑戦を続けていって、人生100年時代を楽しむ。

脳は、自分と違うもの、新しいものを受けいる前に、拒絶反応を出す傾向にあるようです。
その方が、安全で、危険性がないため、自己防衛が働くからでしょう。

でも、私が住んでいるのは外国、多様性が渦巻くオーストラリアです。
時代も違います。
今までは常識だった、通用していた方法も、これからの時代では、同じようにはいかないでしょう。

新型コロナがもたらした世界観が、私たち一人一人に改革を迫っています。

今回の東京五輪での、開会式も同様でした。
色々な制限があっての、開会式。 選手団もマスクに顔を覆われて、ソーシャルディスタンスを
取りながらの中、観客も、大袈裟な調和、一致をアピールする場も見られませんでしたが、
それでも、震災被災した地からの子供たち、車椅子に乗った選手、両親を2つの国に持つ
バスケットボールの八村塁選手や、テニスの大阪なおみ選手も登場して、多様性は全面に
出ていたと感じます。

皆さんは、どう感じられましたか。

まとめ

物事に絶対はないと、思います。
特に、人間が決めてきたルールや、常識、物の見方は、時代によって、変わるものだと
理解しています。

インターネットが発達し、オンラインでどこへでも、誰とでも交流できる現代。
グローバル社会化は、今後ますます進み、柔軟な考え方を持つ人が生き残っていかれる時代に
なると思います。

”そんなやり方は、ダメだ。”と、昔の良き時代を振り返るだけのシニア層になるのではなく、
新しい方法、挑戦を楽しめるようなシニアになりたいと、私は思っています。

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